『蒙古語大辞典』について
『蒙古語大辞典』について内 田 孝*
1.辞典の概要
(1) 出版社:財団法人偕行社編纂部
(2) 上・中・下の全3 巻、菊倍版(227×303 ミリ)、各巻30 円、500 部
上巻 1933(昭和8)年 9 月刊行 「蒙和之部」(1~774 頁)
中巻 同年 10 月刊行 「蒙和之部」(775~1713 頁)
下巻 同年 11 月刊行 「和蒙之部」(1~807 頁)
(3) 見出し語
「蒙和之部」 約1万7600 語
「和蒙之部」 約1 万7700 語
(4) 刊行に至る経緯・意図
「蒙古語大辞典発行の趣旨」1933 年6 月、(偕行社編纂部「蒙古語大辞典(内容見本)」よ
り[JCAHR:B05016038500、「7.陸軍省「蒙古語大辞典」ヲ支那各地学校図書館へ 九、
二、十二」]
(中略)思ふに、蒙古語の完全なる大辞典の完成は、実に国家的事業に属し、民間に期待
することは至難である。之が為に、陸軍当局は、既に数年前より、部内の蒙古語権威者
若干名をして、汎く内外の文献を参照して、其編纂に従事せしめつゝあつたが、予期以
上の好成績を以て、最近愈々脱稿するに至つたことは、種々なる意味に於いて、大いに
誇りとする所である。(中略)
一昨年満州事変勃発以来、我国民の満蒙に対する関心著しく高調し、蒙古語の研究も
抬頭するに至り、満蒙学校其他に於て、其講座を新設するの機運に向ひたる時、本書の
出版は国家の為、最も時機を得たるものと信じ、当部は、陸軍当局の後援に依り、其発
行を企画した次第である。希くば本書が、幸に軍部、学会、経済界、殊に満洲国官公署
等弘く江湖に普及し、満蒙開発に資せんことを望む。
*滋賀県立大学非常勤講師, tkshchd@yahoo.co.jp
2
2.辞典の内容
(1)題字:陸軍大臣荒木貞夫
(2)序文:タタール人、モンゴル人、チベット人ら8 人
(3)内容
以下の項目を掲載
①ウイグル式モンゴル文字 ②ウイグル式モンゴル文字をつづりを分けて1文字ずつ
③ラテン文字転写 ④異体字、同義語のウイグル式文字およびラテン文字転写 ⑤品詞
⑥「梵(サンスクリツト)語」ラテン文字転写 ⑦「カルマーク語」(トド文字) ⑧「満洲
語」 ⑨「西蔵語」 ⑩「韃靼語」 ⑪「支那語」 ⑫注釈 ⑬日本語訳 ⑭熟語
(4)編纂時に用いた辞書
辞書編纂にあたり用いた資料に関する言及は一切ないが、以下の資料を用いたと考えられ
る:
① コワレフスキー辞書(Осипомъ Ковалевскимъ ≪ Монгольско-русско-французскій
словарь≫Казань:Въ университвтской типографіи,1844-1849)
② ゴルストンスキー辞書(К. Ф. Голстунскимъ ≪ Монгольско-русскій словарь ≫
С-Петербургъ:Лит. А. Иконникова, 1893)
③その他
3.編纂者 (鈴江萬太郎と下永憲次)
「本書は陸軍内部の蒙古語権威者数名の合著にして内外未曾有の大宝典なり」(下永『皇国
の~』に記された『蒙古語大辞典』広告)
陸軍省の編纂となっているが、陸軍軍人の鈴江萬太郎、下永憲次の2 人が編纂し、陸軍の
支援を受け刊行したものであった[陸軍省1933:序1-3]
日本におけるモンゴル語学習には当初から日本陸軍が深く関わりつつ、進展してきた。ま
た、陸軍には語学将校を養成するため、東京外国語学校で学ばせたり留学させる制度が設
けられていた。
例)1908 村田清平『蒙古語独習』、岡崎屋書店
1910 小川庄蔵『日漢対照蒙古会話』、参謀本部
1912 年12 月以降、神戸のロプサンチョイドン(羅子珍)のもとで軍人6 人がモンゴル
語を学ぶ
1917 蒙古研究会・編『蒙和辞典』、東京文信社、
2 人ともこうした語学将校として東京外国語学校などでモンゴル語を習得し、シベリア出
兵への参加や実地調査によってモンゴル地域での活動も行った。モンゴル語および中国語
の語学教師を務め、後進の育成にあたるとともに、教材の作成・出版にも尽力した人物で
あった。
3
(1)鈴江萬太郞 (生没年:1886 頃?-1929?)
①経歴 陸軍士官学校18 期、歩兵、少佐
1913 年頃? 二楽荘でモンゴル語を学ぶ [二木1999:1014]
1916 年4 月- 東京外国語学校で1 年間モンゴル語を学び、その後北京にて語学研究[陸軍
省1933:序3]、[秦1991:590]
この時期にすでに『蒙古語大字典』(『蒙古語大字彙』)刊行を決めていた(『実用蒙古語初
歩』はしがき)
1919 年9 月-1921 年9 月 第三師団、第五師団司令部附としてシベリア勤務
・ブリヤート民族会議の報告、ブリヤート留学生の日本派遣に関する折衝など(1918 年10
月)
・「外蒙古庫倫を中心とせる毛皮類実況の件」(1919 年6 月)
・モンゴル関連の文献収集・ブリヤートなどのモンゴル知識人と交流[青木2008]
1921-23 陸軍砲工学校中国語教官
1925 予備役編入、陸軍省嘱託
1925 年5 月-1926 年春 内モンゴル、外モンゴルを調査
1928 頃- 大阪外国語学校講師(学科主任) 授業は隔週、「庫倫の監獄に7、8 年」[津田1972:
207]
1929 年頃 脳溢血のため死去
蔵書は東洋文庫が所蔵
②著作
1916 『日本支那蒙古対照 実用語字彙』
1918 『実用蒙古語初歩』 (国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧可能)
1920 鈴江萬太郎・編『五體合璧:ブリヤート,索倫,通古斯,露西亜,日本』
1922 講演「蒙古に関する口碑」『東京外国語学校創立二十五周年記念文集』、東京外国語学
校校友会
1923 『蒙古文範』
1924 『蒙古語般若心経』
1925 『最新日支会話の早わかり』井上支店 (復刻版:六角恒廣編『中国語教本類集成』
第10 集第3 巻、不二出版、1998)
1925 下永憲次との共編『北京官話 俗諺集解』大阪屋号書店 (復刻版:『続ことわざ研究
資料集成』第15 巻、大空社、1996) (国会図書館近代デジタルライブラリーで閲
覧可能)
1927 講演「蒙古の奥地を探めて」『東京講演同好会会報』117、東京講演同好会、1927、
pp.19-45
4
(2)下永憲次 (生没年:1890-1949)
①経歴 熊本県出身、陸軍士官学校23 期、歩兵、大佐
1917 年4 月- 東京外国語学校で1 年間中国語を学ぶ
1918 年9 月-21 年4 月 第3 師団第3 兵站、満州里特務機関附としてシベリア満洲勤務[陸
軍省:序3]
1923 年- 東京外国語学校で1 年間、モンゴル語および「印度語」を学び、その後1 年半、
北京にて語学留学
1930 年 陸軍省調査班附(満蒙学校講師、日本大学講師)
『蒙古語大辞典』編纂作業を引き継ぎ、再開
1934 年 アフガニスタン、インドへ出張
1939 年 徳化特務機関長
1941 年 予備役
②著作
1923 『蒙古語捷径』、真砂館 鈴江の序文あり
1924 下永憲次・訳『蒙古語初級篇』、(北京)、(非売品) (神谷衡平、清水元助・共著『中華
国語教科書初級篇』の訳)
1924 金川耕作との共訳『蒙古語童話集』、(北京)
1925 『蒙古書簡文選』、(北京)
1926 下永憲次・編『北京俗語児典』、偕行社 (復刻版:波多野太郎・編『中国語学資料叢
刊』第1篇(白話研究篇)第1 巻、不二出版、1984) (国会図書館近代デジタルライブラ
リーで閲覧可能)
1932 『日蒙会話』、川流堂
1933 『蒙古語教科書<初級篇>』、文聖舎 (1924 下永憲次・訳『蒙古語初級篇』
の活字印刷)
1933 『中国春聯集解』、小林又七本店
1933 『北京語集解』、偕行社 (復刻版:波多野太郎・編『中国語学資料叢刊』第1篇第1
巻、不二出版、1984)
1933 『今日の支那語叢書第1:独習軍用満洲国語』、春陽堂
1933 『皇国の生命線満蒙を守れ 外蒙共和国を正視せよ 然して蒙古語を学べ』(内容は「蒙
古文字解説」全18 ページ)
1934 『蒙古語読本』、文聖舎
1934 『あふがにすたん記』、文聖社
4.モンゴル文字活字
(1) 1917 年頃に鈴江自身が自作
『実用語字彙』刊行によって得た報奨金を用いて、鈴江自身の手で活字を製作(『蒙古語大
5
字彙』出版に向けて)。
完成した活字は『実用蒙古語初歩』(1918)で試用。
曩に蒙和の実用語字彙を編するや、計らず多大の同情を得、特に陸軍大臣大島中将閣下
[引用者注:大島健一(1916~18 年の大隈内閣、寺内内閣における陸軍大臣)]の称賛と賞与
とを与えられたるは実に編者の光栄とする所なり、此恩に報い、此栄誉を記念せんがため
其賞与金を以て蒙古活字を作成したり、之により蒙古語大字彙の定成を期せんとせしが此
頃蒙古語の通信教授を乞ひ来るの土[引用者注:原文ママ]多く一一通信の繁に塲へざるに
至る、之によつて公務の余暇其通信の材料を兼ね、蒙古活版の下調と共に衞戍地語学の教
科用にもせんとて簡単なる此書を印刷したり、勿論草稿は稍大なりしも印刷のために一人
の助手なく植字より解版まで皆自己の手にてなせるものにして言葉を畧し、説明を省き、
読者に不満足を与ふること少しとせず、読者乞ふ之を諒せよ(鈴江萬太郞『実用蒙古語初
歩』はしがき)。
(2) 竹内正が協力
1928 年頃、竹内正は鈴江より『蒙古語大字典』印刷の協力を依頼される。鈴江の死により
一時中断するが、その後下永の指示により再開。
この時の活字は初期の活字と一部異なる
①『蒙古語大字典』刊行後、竹内は活字を譲り受け、市川国武(義弟)と太田国三郎(実弟)
が経営する文聖舎(東京)へ預ける。
→1941~1943:留日蒙古同郷会の年刊誌『Sin_e Mongγul(新モンゴル)』第1~3 号を
出版
②竹内自身、その後満洲国が成立すると渡満し、満洲国におけるモンゴル語印刷事業に深
く関与
「印刷物の形式、効果上活字の大小を取揃える必要から、従来の型を元としたもの数種と、
ペン書き字体、草書体の母型を造」[竹内1972:96]った(ただし、母型の製作は東京で行っ
た)。満洲図書株式会社に転任し、再びモンゴル語文字の母型を製作。
5.参考文献
青木雅浩 2008 「東洋文庫所蔵鈴江萬太郎寄贈図書について」『東洋文庫書報』40
竹内正 1972 「蒙古活字と私」『日本とモンゴル』1972 年11・12 月号
津田喜代獅 1972 「その頃の思い出」『きんきら50 年』(大阪外国語大学同窓会50 周年記
念誌)、大阪外国語大学同窓会
秦郁彦・編 1991 「東京外国語学校陸海軍依託学生」『日本陸海軍総合事典』、東京大学出
版会
二木博史 1999 「モンゴル語(一 蒙古語学科の誕生と発展)」『東京外国語大学史』、東京
外国語大学史編纂委員会編
陸軍省・編 1933 『蒙古語大辞典』、偕行社
JCAHR アジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/) 2011 年2 月6 日アクセス
6
『蒙古語大辞典』
□で囲った語はゴルストンスキー辞書の見出し
7
コワレフスキー辞書
8 内容貌似不全哎……
况且本人坚决抵制日货(好吧,学术方面除外)……
页:
[1]